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03/11 10:59 UP! 黙祷3.11TORI(トウリ)(28歳)

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2011年3月11日。
あの日から、十五年が過ぎた。

当時、僕は十三歳。三重県伊勢市の、坂の上に建つ中学校に通う一年生だった。
陸上競技部の練習が始まり僕たちはいつものようにウォーミングアップをしていた。冷たい風がグラウンドを抜け、シューズが土を擦る音だけが静かに響いていた。

そのときだった。

地面が、かすかに揺れた。

最初はほんの小さな揺れだった。けれど次の瞬間、学校全体を包み込むように揺れが広がった。十数秒だったのだろう。でも体感では、もっと長く、まるで一分ほど続いていたように感じられた。

顧問の先生が鋭い声を上げる。

「グラウンドの真ん中に集まれ!低く屈め!」

だだっ広いグラウンドの中央で、僕たちはしゃがみ込んだ。
足元の土がわずかに震え、遠くの校舎の窓ガラスがかすかに鳴っていた。

やがて揺れは収まった。

しばらくして、校内放送が流れた。
東北地方で震度七レベルの大きな地震が起きたという知らせだった。

けれど、そのときの僕たちはまだ現実を理解していなかった。
「今の揺れ、けっこう大きかったよな」
そんな軽い会話を交わす程度で、どこか他人事のように笑っていた。

顧問の先生は三年生から順に荷物を取りに行くよう指示し、全員の点呼を取った。そして安全が確認されると、そのまま下校するよう言われた。

当時は携帯電話を持っていない生徒がほとんどだった。
家に帰ると、玄関で母が僕を見てほっとした顔をした。

「大丈夫だった?」

僕は軽く肩をすくめて答えた。

「ちょっと揺れただけだよ。平気。」

けれど、その気持ちはすぐに裏切られることになる。

母がテレビをつけた、その瞬間だった。

画面に映った光景に、僕は思わず生唾を飲み込んだ。
そして、そこから目を離すことができなくなった。

ヘリコプターからの中継だった。
上空から映された町に、黒い水の塊が押し寄せていた。

それは波というより、巨大な塊だった。
当時の僕には、生コンクリートの塊がゆっくりと流れているように見えた。

その黒い流れは、家を、車を、人を、建物を、容赦なく飲み込んでいく。
瓦礫がぶつかり合い、あちこちで火の手が上がっていた。

人生で初めて見る光景だった。

しかも、それが数百キロ離れた、同じ日本で起きている。
その残酷な事実を、僕はしばらく受け入れることができなかった。

それから一週間近く、テレビはずっと被災地の映像を流し続けていた。
二十四時間、途切れることなく。

行方不明者。
死亡者。

その数字は、毎日のように増えていった。

僕の親族に被災地周辺に住んでいる人はいなかった。
だからショックは受けながらも、どこかで「遠い場所の出来事」のように感じていたのも事実だった。

そんな僕に、もう一度あの日を思い出させたものがあった。

それから半年ほど経った、2011年10月19日。
好きだったバンドの新曲が発表された。

タイトルは「シャングリラ」。
意味は、理想郷。

当時の僕は、ただ不思議に思った。
どうしてこんな曲名なんだろう、と。

けれど数年が経って、歌詞を改めて読み返したとき、ようやく気づいた。

そこには、あの震災を思わせる言葉が静かに織り込まれていた。

福島:「奇跡の風が『吹く島(福島)』へ」
宮城:「ひと時の憐れ『みや偽(宮城)』善」
岩手:「願いは空に『愛は手(岩手)』に」

直接的ではないけれど、確かにそこに祈りのような言葉があった。

そのとき僕は、初めて理解した気がした。
この曲はただのポップスじゃない。
あの時代の痛みや願いを、そっと包み込むような歌だったのだと。

ショッキングだった記憶も。
何も知らなかった当時の自分も。

すべてを含めて、この曲を聴けるようになった。

今でも、感謝している。
yasuは本当に優しい人なんだろうな、と心から思う。

あれから十五年。

募金活動もある。
インターネットから支援を送ることもできる。

自分にできることは、小さなことかもしれない。
それでも、その小さな力が、誰かの心や体の支えになっていたらいいと思う。

震災は、東日本だけじゃない。
能登半島でも、大きな被害があった。

だからこそ、ほんの少しでいい。
意識を持つこと。

誰かの明日を思うこと。
自分の明日を大切にすること。

それだけでも、一日はきっと違って見える。

まだ未熟なままだけれど。

あの日、「シャングリラ」という曲が教えてくれたことを、
僕はこれからも大切にしていきたいと思う。

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