08/14 09:52 UP! レン作の官能小説 part1REN (レン)(30歳)
SHORT STORY ・ 第1話/全3話
その夜、ドアの向こうに
「結婚は、できない」――夢見た二年が、誕生日の夜に、あっけなく終わった。
その店を選んだのには、理由があった。付き合いはじめた頃、まだ照れくさくて手も繋げなかった頃に、二人で何度も通った、少しだけ背伸びした店。三十二歳の誕生日と、交際二年の記念日が重なるその夜、美咲は心のどこかで、期待していた。もしかしたら、今日こそ――と。
テーブルの下で、左手の薬指を、何度も、そっと撫でた。
けれど、料理が半分も進まないうちに、向かいに座る彼は、ワイングラスを静かに置いて、うつむいたまま言った。
「ごめん。結婚は……できないんだ」
一瞬、その言葉の意味が、うまく飲み込めなかった。彼は三つ年下だった。いつか彼を支えられる自分でいたくて、美咲は仕事も、家のことも、笑顔も、いつだって精一杯だった。重かったのだろうか。急かしてしまったのだろうか。理由を尋ねる声は、途中でかすれて、最後まで言葉にならなかった。
どうやって店を出たのか、よく覚えていない。季節外れの冷たい風が、火照った頬を、無遠慮に撫でていったことだけを、覚えている。
部屋に帰り着いても、電気を点ける気になれなかった。バッグを床に落とし、そのままソファの隅に、膝を抱えてうずくまる。涙が乾いて、また新しく落ちて、時間の感覚さえ、ゆっくりと溶けていった。
テーブルの上で、スマホが何度か震えた。心配した友人からの通知。けれど、既読をつける気力さえ、湧いてこない。三十代の、はじまり。焦る気持ちに気づかないふりをして、「この人となら大丈夫」と言い聞かせてきた二年が、たった一言で、崩れていく。
どれくらい、そうしていただろう。
ふいに、インターホンが鳴った。
こんな時間に、誰。居留守を使おうか、と思った。けれど、もう一度、遠慮がちに、それは鳴った。重い体を引きずって、のぞき穴に目を当てる。
立っていたのは、レンだった。学生の頃からの、ただの男友達。片手に、コンビニの袋を、ぶら下げている。
「連絡、ぜんぜんつかないからさ。……なんか、心配で」
ドアを開けた瞬間、張りつめていた糸が、ふっと、ほどけた。彼は理由を聞かなかった。散らかった部屋に慣れた様子であがると、勝手にポットのスイッチを入れ、温かいお茶を淹れて、泣きはらした美咲の隣に、そっと腰を下ろした。
「無理に、しゃべらなくていいよ」
「……俺でよければ、朝まで、ここにいるから」
その一言に、また、涙があふれた。彼はテレビもつけず、慰めの言葉を並べもせず、ただ静かに、そこにいてくれた。カップから立ちのぼる湯気が、暗い部屋のなかで、ゆらゆらと揺れている。
窓の外が、少しずつ白みかけても、レンは帰ろうとしなかった。
ふと顔を上げると、彼が、こちらを見ていた。いつものふざけた目とは、どこか違う。何か言いたげな――そんな瞳。目が合うと、彼はすぐに視線を逸らして、「お茶、もう一杯、淹れよか」と、ぎこちなく立ち上がった。
その背中を見つめながら、美咲はこの夜はじめて、彼のことを、“ただの男友達”ではない何かとして、意識してしまった。
NEXT STORY
第2話「言えなかったこと」
――彼が、ずっと隠していた本当の気持ち。(つづく)
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